2016-11-17 第192回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第3号
被災が起こってしばらくの間は無我夢中だと思います。少し時間がたったときにやはりそういった支援を、メンタルヘルスの支援というのも重要かと思っております。 どうしても、膨大な事務作業もあり、また、小さ目の自治体になれば、いつも以上の予算を扱ったり、また、さまざまなこと、住民の方々の要望も日に日に変わってきます。
被災が起こってしばらくの間は無我夢中だと思います。少し時間がたったときにやはりそういった支援を、メンタルヘルスの支援というのも重要かと思っております。 どうしても、膨大な事務作業もあり、また、小さ目の自治体になれば、いつも以上の予算を扱ったり、また、さまざまなこと、住民の方々の要望も日に日に変わってきます。
やはり、年月がたちますとともに自分が受けた心の傷というのを、今は無我夢中ですけれども、次第に取り戻して、それはトラウマになっていくのではないか。ですから、心のケアとともに、教科書もなくなってしまった、ですから学力の低下が来るんじゃないかという恐怖、やっぱりおそれを持っていると思います。そのような生徒たちにきめ細やかな教員が対応することが必要であると思います。
これを諸法無我と言います。この思想によれば、命あるものはすべてこれまで何度となく生まれ変わり死に変わりして、お互いに父母であり兄弟であった。そこから、相手の中に自己を発見し、相手と一つになって共感する心が生まれます。したがって、他人を欺いたり軽んじたり苦しめたりしてはならず、一切の生きとし生けるものに対して無量の慈しみを行うべきだと説いたのであります。
わずか二メートル先に銃弾が来た島袋さん、土煙に命の危険を感じて逃げ出したということですが、「次の弾に撃ち抜かれると思い、無我夢中だった。あんな怖い思いは初めてだ。もうあの畑で作業する気になれない」というようなことを語っておられることが報道をされております。 このキャンプ・シュワブでは、今まで五件のこのような事件が起こっております。数久田というこの地域では三回目です。
そして金を借りるときに、債務者の方は無我無中だから、印鑑証明持ってこい——はい、ここへ判こつけ——はい、これだけで、金が入る方ばっかり一生懸命ですから、印鑑証明とわけがわからぬ紙に実印を押して渡してしまう。そうしたら、内容も自分が全然理解していない金額の公正証書、利息もそう、弁済期もそう、しかも、その書類を知ったときには差し押さえがもう来ている、こういう状況になるわけなんです。
森繁さんや竹脇無我とか西郷輝彦とか、そういう人たちが演ずる芝居でございます。これは二百三十年前に岐阜県の濃尾三川、ここに蓑輪さんがおいででございますけれども、実は幕府に命じられまして、薩摩藩がここで大治水工事で大変な出血をするわけですね。二百数十名犠牲者を出すわけでありますが、先般の大水害のときには白骨が出てきたというふうな悲惨な話もございました。
佐伯会長が言われたことでありますが、若い高校生は自分の持つ熱と力のすべてを傾注し尽くして、汚れのない白球を一心不乱に清純な無我の境地で追い続ける、勝っても負けても最後まで追い続ける純真無垢な姿と心こそ高校野球の生命であるというように言われました。私もそのとおりだと思います。
肥料にしても、農薬にしても、農器具にしても整備して、無我夢中でもうけるようなことは許さぬぞ、こういう形で諸経費をできるだけ抑えて、そして農産物価格はその中に他産業並みにまさに見合う労賃部分を加算する。いわゆる生産費所得補償方式にする。これが食える農業なんですよ、これが食える農業なんです。一軒の問題じゃないですよ、これは。これが食える農業なんです。これをやらにゃだめなんだ。
そういう点で、いままで無我夢中であったという率直な感想をおっしゃったわけですが、日本の公害については、もう重傷の状態にきておる。それで、この重傷の状態にきておるわが国をどうするかということです。 そこで、いままで科学技術庁がいろんな勧告をなさっていますよ。
私事で恐縮でございますが、当時私は非常に若かったわけでございますが、この作業に参加をしておりまして、その当時はやや無我夢中でございましたけれども、あとになって考えてみると、やはりどうもねらいは、特に指令部あたりのねらいは民主化という点に最大の重点を置いて、それに対しまして当時農林省がいろいろ折衝したわけでございますが、考え方にはややニュアンスには違いがございまして、それは農業の生産をより発展さしていくという
立ち入っておる人は無我夢中ですから、おれは二キロ以内におったのだ、三日以内におったのだといったって、おったところが二キロであったのか、三キロであったのか、四キロであったのか、そんなものはわけがわからぬですよ。きょうは援護のほうにも来てもらっておるのだが、援護法の関係がやはりこういう関係でなかなか証明できずに困っているのがたくさんあるわけです。
これは役人は——役人というものは学生時代に高文の試験を受けることに無我無中になって、ラブレターを書いた経験もない。この間通産省に行って、お役所の人はときには映画を見るかと言ったら、それは見るよと言う。映画を見たあとにアイスクリームを食べますかと言ったら、それは食べる。
それからもう一つは、麻薬の患者は精神病院に入りますと禁断症状がとれるまでは無我夢中ですから、そのままで、どんな患者さんと一緒でもわからずにおるわけでございますけれども、直ってしまうと、自分は普通の患者なんだ、一緒におるのは精神病者だということで非常にいやがりますし、患者の家族としても精神病院に入っておることをいやがる。
つまり無我夢中であったようであって、そういう形で、お手伝いさんを刺したということについてはわからなかったということを自供いたしておるのでございます。 なお、精神的な状況でございますけれども、逮捕の当時は非常に興奮をいたしておりましたけれども、その後、落ちついておりまして、今のところ、医学的な鑑定ではございませんけれども、警察の見るところでは精神異常とも思われないのでございます。
その五百分の一の図面を添付して、今度は土木部長の名前で、山林一町五反、無我むしょうに、六反何畝、八反何畝として、一町五反に合わせてきております。このたびは地番が書いてあります。だが境はわかりませんから、図面には境はありません。そのくらいですから、もちろん三人の地所を二人にしております。もう一人末松豊がまん中を持っております。あと穴井隆雄と室原知幸の私が持っている。
○高橋(權)委員 審査会はどういう人であるか、わかりませんが、私のごとき無我の境にある人間ばかりではないから、どういうことをやるか知らぬけれども、特に今日靖国神社は、全国の国のために戰死した人をまつつているところだから、こんなものを拂い下げるのは一番悪いと思いますが、それも第一に参考にしていただきたい。
そういうことのために、せつかく中央において無我無私の立場から委員諸氏が論じておるのが地方において逆に宣伝され、しかも先ほど申すように、総理大臣も涙ある人で、あの人はがんこおやじであるが私はあれにほれ込んでおる。その熱のある総理並びに政務次官、委員長のごときりつぱなる人格者、その他われわれ多数の委員がほんとうに寝た間も忘れることのない問題が逆に宣伝されておる。
未だに代議士諸公は農民のほうの問題であると無我無中になる。これに農林大臣が先棒が担いでやるということになると、この産業政策のほうは常にあと廻しにされて、いわゆる縁の下の力持という恰好に相成るということは、この予算の編成においても、通産省においては大いにこういう……、無駄なこととは言えないが、不急の金は節約して、適切に今焼け付いておるような金融に関して……。
私にも相当な自分の研究の結果、この無我論が無神論的なものだという確信のもとに申し上げるのであります。どうぞ事案に関する立法者も私の意のあるところをひとつ御研究の上、適宜の処置をおとりいただきたいと思うのであります。 次に第三点といたしましては、私は認証主義に全面的にこれも反対するものであります。
少しこれはインド哲学を研究した人なら、だれでも認めるのでありますが、仏教の根本論はいわゆる諸法無我であります。無我ということを平たく申しますと、無靈魂あるいは無神論というのと同様になるのであります。
どうなるかも無我夢中でありまして、そういう税法を作つただけであります。私はよく言うのでありますが、税法というものは紙に書いたものが税法ではないのであります。税法というものが紙に書いたものであるならば、僕にやらせれば一日で以てその理想的な税法を作つて見せる。